現代アートって、多分誰もよくわからないと思うんですよね。
なんかだだっ広い部屋にオブジェがただ置いてあるだけだったり、天井からなにかぶら下がっるだけだったり。
わけわからないですよね。場合によってはなんだこのゴミは!っていらいらする人にいるのでは?
自分もほんと全くわからなくて、今回いろいろ調べてみたら、なんか少しずつ理解できるようになってきたので、ここで解説してみます。
こんにちは。石井月海です。
最初に結論を言うと、現代アートはそれ単独では理解することができません。
私も芸術に関して大したものではありませんが、そんな自分が現代アートを理解していった流れを極力わかりやすいように紹介していきます。
ピカソを理解するポイントを徹底解説!
ピカソが抽象画にいたった経緯
現代アートの謎。
まずは、わからない&自分でも書けそうな芸術の代表格、巨匠「ピカソ」について。
誰もが気になりながらどうしても理解できないものにピカソの絵があると思うんです。ピカソはなぜ、あのような一見わかりづらいような絵画を書く必要があったのでしょうか?
もちろん、それにもいろいろ理由があります。たとえばピカソのちょっと前、印象派のモネとかルノワールとか、その辺だったら芸術心があまりなくても、見ればなんとなくきれいだな位の理解はできますよね。
このまま、誰もが美しいと思える絵画がアートシーンの中心に置かれていれば、芸術がそれほど難解になることもなかったかもしれません。
ところがそこでちょっと革命が起こります。それはカメラの登場です。
厳密にはピカソの時代よりもずっと前からカメラ自体はあったんですが、一般層に普及し始めたのがこの時代。ピカソが本格的に自分の芸術を模索していたくらいのタイミングです。
カメラの登場による影響
カメラが登場したことによって、その前の時代までにあった目に見えた光景をきれいに描くという芸術表現が根本から揺らいでしまいました。
電球が発明されてガス灯が駆逐されたように、車ができて馬車が衰退していったように。
いわば、景色や人物を留める方法として、完全に上位互換のものが登場してしまったわけです。
絵<写真ということです。
いや、絵の方が味があってそもそも芸術と機械で撮影したものを比べるものじゃないだろ、という意見もあるかもしれませんが、スマホができてガラケーが衰退したように、一般庶民にとってはやっぱり分かりやすさが一番ですからね。
先人があらゆる手法をやり尽くしている?
ピカソが新しい絵画に挑まざるを得なかった理由にはもう一つ、ピカソの時点で絵画の表現方法も先人がさんざんやり尽くしていたという面も考えられます。
絵画の歴史は、その時代その時代を彩ったアーティスト達が、〇〇派、△△派みたいな手法を編み出して、次第にその手法も古くさくなって、次の世代がさらに新しい手法を生み出して、その繰り返し。
そして、○○派の巨匠なんてのは一生をかけてその手法を極め尽くしていて、さらにその絵が大手美術館に行けば誰でも見ることができてしまうわけです。
つまり、否応なしに過去の大物と比較されてしまう状況があるということ。時が下ってから同じ手法で絵を描いても到底勝ち目はないわけです。
つまり、ピカソを含めたこの時代の芸術家は、過去に誰も用いていない、さらに写真(のような絵)と違う、さらにさらに写真を超える表現方法を生み出す必要にかられたということ。
写真の登場で、芸術家は絵画においてなにをどう表現したらいいのか、という大きな難問にぶつかったんですね。
キュビスムの誕生
そう考えたときに、ピカソは自身のちょっと前の時代を彩ったセザンヌが既にやっていた、いろんな角度から見た景色を一枚の絵の中に同時に収めるという手法をさらに先鋭化させました。
いわゆるキュビスムです。
知ってる方もいると思いますかピカソもともと現実写実主義の絵を描いていて、見たままきれいに捉えるという手法をとっていました。
しかしカメラの登場によってその手を変えざるをえなくなった、そこであのような、それまでに誰もやっていない、かつより対象の本質をより深く表現する手法を用いた、という面があったんですね。
ピカソの抽象画を理解するポイント
じゃあ実際、ピカソを見てどう感動すればいいのかという話なんですが、これについては私も最近やっとわかってきました。
私は東京に住んでいて、審美眼を磨こうと思い、特にここ1年位で都内とか神奈川近郊の美術館や博物館をとにかくたくさん見るようにしていました。
で、そうやってみる中で、初心者のころにピカソを単独で見ただけはわからなかった良さが、同じ方向性とかの他の絵画と見比べたときに明らかにずば抜けていると感じられるようになってきたんです。
色づかいとか、線の角度とか太さとか、一見ぐちゃぐちゃなものが、黄金律のように完璧に考え抜かれたように見えてくるんですよね。
ほかの均整の取れた絵と並べてみると、その整った感じの方にちょっと違和感があって、ピカソの一見無軌道な筆づかいの方が自然に見えてくる不思議。
ピカソは目に見えたものよりも、その奥にある本質を掴んで表現しようとしていました。
なので、ピカソの絵の良さを分かりたければ、(これを言ったら元も子もないですが)いろいろな芸術に触れて審美眼を磨いてくださいということです。
自分としても、ある日ある瞬間にピカソの良さがはっと分かったときの感動っていうのは結構大きくて、審美眼レベルがアップして、美術館好きとして一皮むけたような、大人の階段を一段登ったような喜びがあったのを思い出します。
ピカソは現代アートではない?
しかしここで注意。
厳密に、近代アートと現代アートを立て分けたときに、ピカソは近代アートなんですね(ただし近代と現代の分け方には諸説あり)。
ではどう違うかというと、これから詳しく書きますが、厳密にはピカソの時代までの芸術は、あくまで目で見て判断するものだということ。
ある意味、ピカソの芸術は単純に感性を磨けば理解できるものなのです。
ん?ということは、現代アートは感性で理解するものじゃないということ?
そうなんです。現代アートをややこしくしているのは、シンプルに「感性で受け止めればいい」という一般的に芸術に対して抱くイメージでは把握できないという点なのです。
現代アートを理解するポイントを徹底解説!
「わからない」が正解?
ここからが当記事の本題といえます。
現代アートは「コンテンポラリー・アート」といいます。「コンテンポラリー(現代的な)」・「アート(芸術・美術)」です。
いわゆる、だだっ広い空間の中にただオブジェが1つ置いてあるだけとか、天井から何かぶら下がっているだけとか、そういうのです。
なんだ、これ?って感じですよね。なにがなにやら、よくわからないですよね。
ではどう理解すればよいかというと、答えは「わからない」です。
そう「わからない」が正解です。
これだけでは一体なにを言っているのかという感じですよね。そこで少し言い方を変えてみます。
「現代アートは、それ単独ではわからない」ということです。
理解のポイントは「コンテクスト(文脈)」
恐らく日本人の現代アーティストとして世界で最も成功しているであろう、村上隆氏。
彼は現代アートについて、コンテクストという考え方を提唱しています。
※というより、現代アートの先端を行く欧米に元々そういう概念があり、村上隆氏が日本に紹介したともいえます。
コンテクストは「文脈、前後関係」などという意味。
これを理解するために、現在アートの革命的な影響を及ぼしたといわれるエピソードを紹介します。
マルセル・デュシャンというアーティストが1917年、「泉」という作品を発表しました。
「泉」は、実はただの男性用の便器に架空の人物のサインを書いただけのもの。これを、お金を払えば誰でも展示してもらえる展覧会に出品したんですね。
当然のように賛否両論が起こって、結局この作品が展示されることはありませんでした。
これをきっかけに、そもそも芸術とはなんぞやという議論が巻き起こります。これが現代アートのスタートといわれています。
これが価値の意味です。
つまり、もの自体はただの便器。でも、世界ではじめて便器にサインを書いただけのものを「これはアートか?」と問いかけた。
その「コンテクスト(文脈、前後関係)」に価値が生まれた。
はじめて世の中に、前時代的なアートの常識に対して問いかけをした、というエピソードストーリーに芸術価値が生じたわけです。
ポップアートに100億円の価値がある?
また1950年代に起こり、60年代に全盛を迎えたポップアートという流れがありました。
その時代の代表者の一人、ロイ・リキテンスタイン作「ヘアリボンの少女」という作品があります。
これは、江東区にある「東京都現代美術館」に所蔵されています。開館前の1995年、この作品は6億円で購入されました。
その後、リキテンスタインの別作品「ナース」は2015年、オークションにおいて117億円で落札されています。
作品は違いますが、現在「ヘアリボンの少女」も同じくらいの価値があるといわれています。
つまり、20年の間に6億円→100億円以上に価値が上がったんですね。
私も最初にこの絵に見たとき、ただのアニメのようなキャラの絵面にそんな価値があるということが全く理解できませんでした。
これについても「コンテクスト(文脈、前後関係)」を理解することでその意味がつかめます。
当時のアメリカにおけるアートシーンでは作品の抽象化が進んでいて、その理解の難しさから多くの民衆が美術館から足が遠のいていました。
そこで、リキテンスタインはこの作品を世に出すことで、アートを大衆に取り戻すという挑戦をしました。
彼も「アートとは?」という疑問を、この作品によって改めて当時の世界に投げかけたのです。
それが「ヘアリボンの少女」の「コンテクスト(文脈、前後関係)」です。
欲しい人がいるから価値が出る
アートに価値が生まれる理由。それにはもう一つ要素があります。
それは、その金額を払ってでもそのアーティストの作品が欲しいと人がいるということ。
はい、当たり前ですね。
でも、これも事実です。極端な話、その時代の経済状況や社会情勢によってもアートの価値が変わるという面もあるわけです。
現代アートの見方についておさらい
現代アートを観覧する方法
これまでに紹介したことをふまえて、現代アートを観覧する方法をおさらいしましょう。
つまり、前知識もなく館内の説明プレートも読まず、ただ視覚で作品を見る、なんとなく館内を見て回っているだけでは、到底理解なんてできないのが普通ということです。
今現在、多少絵心に自信があって、でも現代アートは全く意味がわからないっていう人もいるかもしれないんですけど、全く心配しなくていいです。
そもそも、その展示物だけを見てわかるようにはできていないということなんですね。
ではなにが必要かというと、美術館に行く前にそのアーティストの信念や生き方、ストーリー、さらには近代アートから現代アートにいたる流れ、さては全人類における歴史、また社会情勢などを学び、またアーティストが作品に込めた、社会に対して投げかけている疑問、生死の問題、そういったものを作品以外の部分から、解説なども参考に読み解いていかなければいけないわけです。
勉強して理解する努力が必要?
「考えるより、感じろ」ではなく「感じるより、勉強して理解する努力をしろ」。
現代アートを理解するには、根本的な深い見識に加えて、予習、現場の理解、復習が必要になるんですね。それも美術に限らず、歴史、哲学などありとあらゆる知識が。
複雑ですよね。でも、そこまで勉強して、考えてから美術館に足を運ぶと、なんとなく見ていただけの作品が深い感動をともなって見えてくるから不思議です。
もちろん昔の絵画のように、見た目にわかりやすくきれいで、感性だけで美しいと感じられる絵画とかも素晴らしいんですよ。
でも、そこからさらにちょっと踏み込んで勉強して、現代アートも理解する努力をしてみると、より多くの芸術を楽しめる機会が増えて、よりたくさんの美術館や展覧会を楽しめるようになります。
食わず嫌いですませず、現代アートに今よりちょっとだけ踏み込んでみてはいかがですか?
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